認識の変化から、人生が始まった①

こんにちは!

今日もブログを読んでくださり、ありがとうございます!

Personal Universe時代を切り開いて行く清水七央子です(^^)

本日は3回に渡り、私の人生の変化について綴ってみたいと思います。
なんだかんだで認識技術(n-Tech)について書いていますが
出会う前はどうで、出会ったあとは、どう変化したの?

という問いもあったので、今回はその問いにお答えしたいなと思います(^^)


●自分の生きる方向性がわからない日々


さて、突然ですが、皆さんは生きる方向性を明確に持っていますか?

私は、なぜ自分が生まれてきたのかわからないと、幼少期から思っていました。

そう思う理由の一つとして小さい頃から両親は仲が悪く、毎日喧嘩していました。


さらに8つ上の兄もいますが、私が小学生4年の頃から
家庭内暴力が始まり、日々、私と母に対して酷くなるばかりでした。


母の体が紫色になるまで殴り続ける兄を見て、怒りや憎くしみが
心から湧き出て、早く消えて欲しかったです。

時には殺してやりたい。そこまで思った時もありました。


「もう家族の仲が良くなることは一生ないだろう・・」と諦めもありました。


でも、そういう風に家族を憎んでいる自分が本当に嫌で
友達といる時ぐらい、いい人でいたい!認められたい!と思い
勉強や部活、ボランティア、社会人になったら仕事を頑張りました。




●認められたい一心で、行った行動からインドへ。


社会人にも慣れ、毎日同じことの繰り返しの日々に疑問を思い、
今のままでいいのか?もっと認められるためには?

と考えた末、24歳のときにボランティアでインドに行きました。

インドでは2ヶ月滞在して、その時に世界の国からボランティアに集まり
約15カ国の方々と話をしました。


でも、そこでも事件が起こったのです。

日本の政治、歴史について質問されても何も答えられない自分がいました。
24年間日本いながらも何も日本のことについて答えられない。

「日本で一番古い歌はなに?」
「安倍政権についてどう思う?」
「原発については日本人はどう考えているの?」

そんな質問が飛び交ったのです。

何も答えられない自分。
それとは対照的に、当たり前かのように自分たちの国について
誇りを持って語る海外に友人たち。


その姿を見て、自分の国すら理解できない日本の今の教育に疑問を持ちました。



答えられない自分の現状に、ショックを受けながらも
次に海外に行った時には、ちゃんと自分の国のことぐらい答えられようになろう。
と決意して帰国しました。


この続きは、また明日。

本日も読んでくださり、ありがとうございます。

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